海南島近現代史研究会

第2回定例研究会を開きます


主題:海南島侵略開始・アジア太平洋戦争準備開始70年

1939年2月10日に日本軍が海南島に侵入しました。その7か月後、1939年9月に、ポーランドに、ドイツ軍が西方から、ソ連軍が東方から侵入して分割占領し、第2次世界戦争が開始されました。日本政府が2月10日に日本軍を海南島に奇襲上陸させたのは、「紀元節」である2月11日に海南島の首都、海口を占領することを計画していたからでした。 1939年2月11日、日本のマスメディアは、海南島奇襲上陸(宣戦布告なしの海南島戦争開始)の「成功」と「紀元節」を大きく報道しました。


と き:2009年2月8日(日)13時〜17時(開場12時半)
ところ:大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第三ビル19階)
参加費:500円(会員は無料です)



プログラム

【研究報告T】 天皇制国家日本のアジア侵略への国家総動員 紀元節・神武天皇陵・八紘一宇

久保井規夫
 日本が海南島侵略を開始していたころ、日本国内では「神武天皇御陵」や「橿原神宮」が国策として拡張され、「八紘一宇」というアジア侵略への国威高揚のスローガンが掲げられ、国家総動員の仕上げがおこなわれていました。



【研究報告U】 1939年2月10日の世界史的意味

佐藤正人
 国民国家日本が1869年にアイヌモシリの一部(「北海道島」)を植民地としてから70年後、1939年2月に、天皇ヒロヒトと日本政府は、海南島に日本軍を奇襲上陸させました。それからさらに70年が過ぎました。海南島近現代史のなかの日本近現代史と世界近現代史を認識する意味を、みなさんと共に考えたいと思います。



【研究報告V】 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか

竹本昇
 1939年2月10日に、大阪毎日新聞社は、「今暁・海南島へ奇襲上陸 直ちに猛進撃を開始 宛ら無人の野を征く」という号外を出しました。その「無人の野」における日本軍の犯罪を報道したマスメディアはありませんでした。



【研究報告W】 2009年、マスメディアは海南島をどのように報道しているか

日置真理子
 70年前、日本人がどのような目的で海南島に上陸したか。そして何をしたのか。まったく振り返ることがないまま、海南島をリゾート目的で利用する日本の報道を取り上げてみます。



【研究報告X】(予定)  海南島捕虜収容所のオーストラリア軍ガル・フォース  飢えと疫病と重労働  生き証人に聞く

西里扶甬子


■「月塘村虐殺」・月塘村村民の対日本政府要求について
■「朝鮮村」の現状報告と「朝鮮村虐殺」の真相究明について
■第2回総会(2008年8月)以後の会の活動報告と2009年春の第4回海南島「現地調査」について


主催:海南島近現代史研究会
【事務局】 大阪産業大学経済学部 斉藤日出治研究室
大阪府大東市中垣内3 電話090−9712−3991